渡米時の記者会見で思わぬ反響、「又吉の芥川賞に対抗して…」との憶測にツッコミ
綾部祐二 僕は小学4年生の時に「芸人になりたい」と言い始めて、一時はその夢を忘れて就職したものの、20歳の時にダウンタウンさんのロケに遭遇して衝撃を受け、「やっぱり芸人になりたい」と上京しました。ありがたいことに夢は叶いましたが、「このまま進んでもあまりワクワクする結果にならなそうだ」と思ってしまったんです。当時40歳でしたけど、20歳の自分のように、日本から飛び出してみようと。ただ、それだけだったんですけどね。
――結果、大騒ぎになりました。
綾部祐二 そうなんですよ。「レギュラー9本あって、年収いくらなのに」とかビザの話題とか。世間との温度差に驚きました。
――「相方の又吉直樹さんが芥川賞を獲ったので、それに対抗してアメリカへ行った」などの声もありました。
綾部祐二 今思えば、そう答えておいた方が奇行すぎて面白かったですね! 芥川賞に対抗するのに渡米とか、ヤバすぎるだろ、そんなやつ(笑)。でも間違いなく大喜利としてはその回答が正解でした。そう言っておけば良かったな…。
帰国せず“沈黙”貫いた理由は? 壮大な「5年越しのボケ」、不発に終わる…
綾部祐二 最初から3〜5年は日本に戻らないと決めていたんです。狙っていたのは、英語が全然上達してないと思わせておいて、5年後に突然ペラペラと英語をしゃべりだすという、ボケ。
――どういうことですか?
綾部祐二 例えば芸人が変なメイクをして舞台とかロケで出オチを狙っている時に、メイクの過程を先に見せるバカはいないと思うんですよね。突然だから笑えるわけじゃないですか。それと同じで、僕が何をやっているのかを見せず、突然の「英語がしゃべれる僕」という5年越しのボケをやりたかったんです。ところが、そのボケが成立しないほど英語が…。失敗しましたね。今回の本は、ボケができませんでしたという報告。半分は自分のため、半分は1人の40歳の男が急に渡米したらどうなるかというサンプルを提示するため。誤解してほしくないのは、決して僕がアメリカで何をしていたかという疑問の答え合わせではないことです。
――ちなみに現在の英語レベルは?
綾部祐二 目指しているところを100とすると、まだ7ぐらい。意思疎通はできますが、コミュニケーションはまだまだ…。
――又吉さんには、出版の報告したんですか?
綾部祐二 本を出したいということは相談しました。で、最初タイトルは「ヒバーナ」にしようと思ってて。でもブランクがありすぎる上に、大滑りしたらヤバいから止めました(笑)。
現在の綾部の収入源は?「ピースを解散しない」理由にも言及
綾部祐二 最初は語学学校へ通って英語の勉強。あと友だちといろんな所へ行ったり。去年は英語の勉強も兼ねて老人ホームでボランティアをしていました。
――失礼ですが、収入源は。
綾部祐二 インフルエンサーとして、日本からのPR案件があったほか、アメリカの映画にエキストラ出演したり、CMに出演したり。NYは物価がめちゃくちゃ高いんですが、暮らせるだけの収入はありました。自炊するなど節約もしながら。
――Instagramを見ると、高そうな服を着てらっしゃいますが。
綾部祐二 あれは全部日本から持って行ったんですよ(笑)。それで「ピザ大好き」とか投稿して「この人、アメリカで何やってるんだろ」と思わせるのが目的でした。
――それがネットニュースになったり、テレビで芸人さんが綾部さんの話題を出したり。正直、5年も離れていて、いまだに忘れられてないのはすごいことでは。
綾部祐二 いや、本当にありがたいです。うちの両親はテレビや新聞が情報源なので、両親にも僕のことが伝わるのがうれしいですね。
――ところでピースを解散しないのは、やはり帰国後に日本で活躍したいから?
綾部祐二 いや。戻った時に仕事とか僕の席があるとは思ってません。敢えて日本の芸能情報をシャットアウトしていますが、おそらく、新しい人もどんどん出てきているでしょうし…。解散しないのは単に「海外に行ったら解散」とかのルールがないからですね。だからピースとして、ふわっといられる。僕は芸能界にも、ふわっといましたから(笑)。
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