ロッカクアヤコの個展「魔法の手 ロッカクアヤコ作品展」が、10月21日より千葉県立美術館で開催される。ロッカクは2006年に「GEISAI」でスカウト賞を受賞して注目を集めて以降評価を高め、同年アムステルダムで活動を開始、次いでベルリン、ポルトガルなど海外を拠点に活動を行っている。11年「colours in my hand」展(クンストハル美術館、ロッテルダム)や12年「Where the smell comes from」展(ダヌビアーナ・メレンステーン美術館、ブラティスラバ)、19年「Fumble in colors, tiny discoveries」展(ヤン・ファン・デル・トフト美術館、アムステルフェーン)など数々の美術館での個展を開催し、海外で主に評価を受けてきた。この度、日本国内の美術館では初の個展となる。 ロッカクを特徴づけるのは、絵筆を使わず手指で直接段ボールやキャンバスに描き出す手法だ。広い色面の上に手指のタッチを感じさせる伸びやかなストロークや、リズミカルな斑点の数々。作品の構成要素の一つひとつは身体性にあふれ、作品にエネルギーを宿す。なぜ、この手法に至ったのだろうか。 ライヴペイントと段ボールのスタイル ロッカクは、「幼い頃はシャイで、ひとりで何かをもくもくとやるのが好きな子だった。絵を描くよりは、塗り絵のような色を塗っていく作業が好きだった。色が重なっていくことが楽しかった」という。しかし、手で直接描く手法に行きつくのはもっと後になってからである。何かをつくる方向には進みたいと思いつつ、絵を人に習うために美術大学に通うのも何か違う気がして、デザインの専門学校で学んだ。専門学校を出る頃、人に勧められ、何か一歩前へ進むために参加したデザインフェスタがひとつの転機になった。自分に確固たる発表できるものがあったわけではなかったので、会場へは完成した制作物ではなく、かわりに紙、クレヨン、絵具など、あらゆる画材を持ち込み、ライヴで絵を描くパフォーマンスを行った。 「デザインフェスタの観客は、自分を目的に見に来てくれているわけではないので、たくさんの人たちが目の前を通り過ぎていく。そこで、どうしたら人を惹きつける強さを見せられるのか、試行錯誤しました。そうしてライヴパフォーマンスをするなかで、段ボールを手でばっと広げたときの手触り感とか、その場で簡単に破ったり立てかけたりできる即興性、そして直接手で描く感覚がすごくしっくりきて、今日まで続く手掛かりのような感触を得ました」。 その後、ロッカクの評価を高め、アーティストとしての道の決意を固めるきっかけとなったのが、「GEISAI」への参加である。2003年に初めて参加し、06年にスカウト賞を受賞した。垣根なく表現することを楽しんでいたデザインフェスタとは異なる、作品として人に「見せる」責任を感じ、「その先にあるものはなんだろう」と思った。 ロッカクは影響を受けたアーティストについて、「とくにいません」とはっきりと答える。過去の様式に範を求めることなく、独自のスタイルを追求しているが、その奥は深い。受賞後に訪れたニューヨークでは美術館を回り、ニューヨーク近代美術館で見た抽象表現主義の部屋で、その場を離れられないほどの衝撃を受けた。「肌感でびりびりくる感じというか、絵でこういうことができるのかとか、自分も作品によってエネルギーを残したいと思った」と語る。 奇しくも、ライヴペイントに端を発したロッカクのスタイルは、「作品は〝行為する場〟」と評されたアクション・ペインティングの直系とも言える。絵画は行為であり、行為は芸術となる。色面や斑点が再現した対象が意味を持つ従来の絵画を超え、絵が完成するまでのプロセスも含めて作品となる。さらに、サイ・トゥオンブリーの詩情と即興性、バスキアの粗削りでグラフィカルなスタイルなど、本人の自覚以上に多くを吸収しているように見える。作品を前にしたときの、ロッカク自身が身体で感じる物質性や空気感は、作品づくりに確実に生きている。 具象画と抽象画のはざまで ロッカクの描く少女は、怒っているかもしれないし、照れているかもしれない。観者は、一筋縄ではいかない、いたずらっぽい純粋無垢な子供の表情に魅了される。少女は、「意図的につくったというよりは、描いていくなかでだんだんと固定されてきたというか、 好きなモチーフになってきました。素直なんだけど、どこかひん曲がっていたり、儚そうに見えて意志が強い感じ、飄々としているけれど獲物を追っているような、逃げているような、少女が持っている二面性、どっちにも取れる感じを表現したいのだと思います」。 海外では、初期こそ「ジャパニーズ・アニメーションの絵だ」という評価を受けた。大きな目の少女からは、ポップでアニメのような印象を受けるが、それはロッカクの主眼とするところではない。それをどう説明していくかが課題となった。ロッカクはマンガやアニメの大ファンではないというが、「日本で普通にふれているようなキャラクター文化は海外だと少なくて、なんにでも命を吹き込むことが日本の文化では自然にできると思う。海外に生まれていたら抽象画だけになってしまっていたかもしれないけど、自分の表現は作品に命を吹き込む感じなのかな、と思います」と語る。ロッカクは少女に、ひいては作品自体に「命を吹き込む」。手のひらや指の痕跡を残したストロークやタッチという身体性を加えることによって、作品に「生命力」を与えているのだ。 ロッカク自身の言及するとおり、ロッカクの芸術の全貌は、少女像だけに収まるものではない。「抽象画だけになっていたかもしれない」と語るように、ロッカクの作品においては具象と抽象が不可分にある。初期は、段ボールを支持体にライヴ感あふれる素早いタッチで描かれた「少女の絵」だった。段ボールの素地を残しつつ、蛍光ピンクやディープブルーの勢いあるタッチで、決して正面には目を向けてくれない少女を描いたが、キャンバスに描くようになってから、絵具のレイヤーを重ねていくことに魅了され、探求が始まった。そこでは、少女の姿が現れこそすれ、色彩が横溢するまばゆいばかりのランドスケープが広がる。 少女がさまようのは、花が咲き乱れるお花畑のようでもあり、どこともつかない抽象空間のようでもある。ロッカクが描こうとするのは、少女ではなくその周りの気配や匂いのようなものだ。「私、散歩が好きで、よく歩くんですけど、作品を前にしたときの感じは、森の中をさまよっている感覚にも似ています。いろいろな場所を歩いて、なんでもない場所だけど、いまの感じいいなとか、そのときの気持ちよさや体感を自分のなかに入れておいて、画面に向かうとき、その感覚を直接表すわけじゃないけど、絵にとどめたいという思いはあるかもしれないです」。 特定の現実にあるモチーフを描きはしないが、ファンタジーでもない。ロッカク自身が身体で受け取った、どこか生々しい感覚が、見る者の現実の感覚に訴えてくる世界である。海外、とくに2006年にオランダに移ったときには、光の綺麗さに心奪われた。「その光のなかで描くのがすごく気持ちよく、こういうところでゴッホやレンブラントが生まれたというのがしっくりきました」。作品に、北方ヨーロッパのようなからっとした澄んだ光が加わった。 色彩から形へ 2011年のクンストハル美術館での個展は、およそ10年のキャリアを総括するような展示だった。初期の段ボールから作品を網羅的に展示し、大作やアニメーション、ドローイングなど幅広く取り組んだ。勢いだけで描くのではなく、「作品としての強さ」を考える契機となったという。同年の東日本大震災のニュースは、当時オランダに滞在していたロッカクの心を痛めた。遠く離れていることによって強まる無力感と対峙し、「絵で何かできないかということを考えて、もっと絵を残していきたいと思った」という。それまでもカラフルで強い、色彩の豊かな重なり、少女の無垢で意志の強い表情を表現の特徴としていたが、11年以降、強い思いとともに、色を重ねるレイヤーがさらに増え、少女の存在感も増し、作品の密度は高くなった。「ポジティブなエネルギーを作品に宿すこと」という制作の軸も明確になった。画面を覆い尽くす明るい色彩のタッチが重ねられた作品と向き合うときに感じる強いエネルギーそのものが、ロッカクからの現実世界に向けた強いメッセージとなる。 2019年のヤン・ファン・デル・トフト美術館での個展に出品された作品は、密度が増した、抽象性を練った色彩世界だった。「ポジティブなエネルギー」という揺るぎない軸はありながら、モチーフなどは一直線に進むことなく、「だんだん少女の形もなくなって抽象画だけのときもあったり、でもまた生き物のモチーフが増えてきて、また少女が出てきたり」、段ボールにもキャンバスにも、行きつ戻りつしながら展開してきた。つねに新しいことに前向きなロッカクは、20年の本展では、色彩の先を求め、「形」というキーワードを自らに投げかけた。色彩という強みは生かしながら、作品を切り取る「枠組み」にも関心を広げることで、画面を構成していた個々のモチーフや構図のつくり方に深みが生まれ、絵画として新しい境地を拓いているように見える。 「宇宙戦争」と題されたシリーズは、丸みを帯びたり尖ったり、様々な表情を見せる宇宙船に乗り込んだ少女の姿そのままの形に象られたキャンバスに描き込まれている。ロッカクはいつも事前の構想はせず、描き進める手探りのなかで少女のいる様々な色彩世界を描いてきた。本作は、それとは逆に先に輪郭を決める作業になるが、四角い枠組みに縛られず自由に象ったキャンバスが導いた宇宙空間という自由な発想は、壮大なインスタレーションとなってストーリー性を帯びる。 「フラワーベース」シリーズは、静岡挽物の挽物師の手になる一輪挿しに、形からインスピレーションを得たイメージを展開する。木の揺らぎのある木目や質感を余白として生かしながら描いたさまは、素地を残した初期の段ボール作品と通じる質感に対する鋭敏な感覚を感じさせるのに加え、360度展開する「画面」は、絵画平面という領域を超えていく。「形」以上に、領域や形式の「境界」を越えて壮大な「普遍」を希求するように見えてならない。もちろん、「形」を追求しながらも、ロッカクの作品が持つ、対峙したときに、色彩のシャワーを浴びているような新鮮な感覚は一貫している。蛍光ピンクにレッド、スカイブルーにビビッドなイエローの色彩の斑点は重なり合いながら輝くばかりに響き合う。 ロッカク自身が手で直接込めた力を発することによる感覚は、個々の作品を飛び越えて、色彩の充満した展示空間全体の表現へと広がっていく。「作品を体で感じるような体験を、色を感じるような体験をしてもらえたらいいなと思います」。どこまでも明るくポジティブなロッカクの作品は、鑑賞よりは、体験のほうがふさわしい。 (『美術手帖』2020年12月号「ARTIST PICK UP」より)
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