「首無し峠」
埼玉と群馬の県境に「首無し峠」と呼ばれる心霊スポットがある。標高800メートルほどの尾根を越える昔からの街道だが、ふもとをトンネルで突っ切るバイパスが15年ほど前に開通してからは旧道扱いになっている。 元々、有名だったのは「夜中に峠を走っていると、首のない四人家族が乗った赤いオープンカーに追いかけられる」という噂(うわさ)だ。峠で事故死した家族の霊が、誰かを道連れにしようとしているのだ……という話で、一時期は雑誌やテレビでもよく取り上げられていた覚えがあるが、いつの間にか聞かなくなっていた。 代わって最近、ネットで話題になっているのが「頂上そばに殺人事件の現場となった廃墟があり、被害者の霊がさまよっている」というものだ。 オカルトサイトのライターである俺が今夜、こうして車を走らせている目的地も、その廃墟だ。3年前に起こった夫婦惨殺事件のことは、東京でも数日間にわたってそこそこ大きく報道されたので俺も記憶していた。 ニュースサイトを調べ直すと、殺されたO夫妻は、夫が大手電機メーカーを早期退職し、「念願のスローライフ」のために事件の半年前に揃って東京から移り住んできたらしい。山奥で起こった事件ゆえ、訪ねてきた知人が死体を発見したのは死後半月以上経ってからのことだったそうだ。死体の腐敗が進んでいたため死因は特定できなかったが、ふたりとも首が切断されていたことから殺人事件と断定された。死体の頭部は現場付近からは発見されず、犯人も未だ捕まっていない。 峠の頂上まで向かう道の中ほどに、店の灯りを見つけて俺は休憩に寄ることにした。田舎でよく見る、コンビニもどきのよろず屋だ。 ハンバーガーと缶コーヒーを手に取って会計に立つと、レジの人の好さそうな中年男(店主なのだろう)が話しかけてきた。 「お兄さんも心霊スポット探検かい?」 殺人現場の見物に来た不謹慎な野次馬に、一言物申すつもりか。そう思って俺が顔を曇らせたのが分かったらしく、店主は慌てた様子で、 「いや、責めるつもりはないんだ。むしろ逆さ。Oさんの事件、まだ犯人が捕まってないだろ? このまま忘れられるくらいなら、どういう形であれ誰かに話題にしてもらった方が、解決に近づくかもしれないからね」 「亡くなったOさんご夫妻と親しかったんですか?」 何か話が聞けるかもしれないと、俺はスマートフォンの録音アプリを起動させて店主に訊ねた。店主は眉をひそめて頷く。 「よく夫婦そろって買い物に来てくれたんだ。仲良しでね。ご主人も奥さんも、感じの良い人だった。だから事件を知った時は信じられなかったよ。絞め殺されて首を切られるなんて惨い死に方……東京で誰かの恨みでも買って、逃げてきたんじゃないかなんて言う人もいたけどね。僕は信じたくないな」 店主は饒舌だった。沈痛な表情を浮かべてはいるが、生来のお喋り好きを抑えきれない、といった感じだ。良い情報源になりそうだと思い、俺は話を変えた。 「このあたりは昔から、心霊スポットとして有名なんですよね?」 「ああ。赤いオープンカーの話だね。バイパスが出来てからは運送会社のトラックなんかはみんなそっちを通るようになったから、ほとんど肝試し目当てのお客さんしか来ないような時期もあったよ」 店主は苦笑する。「だが、4年前くらいだったか、どっかのテレビが検証番組ってのをやってね。ここがアスファルト敷きになって車が通れるようになって以来、50年分の新聞記事やなんかを調べた結果、複数人が死ぬような大きな自動車事故は一回も起きてなかったってさ。幽霊の正体見たりなんとやら、ってね」 「ああ、それで噂に信憑性がないってことになって、なんとなく下火になったんですね」 面白い話を聞けた。俺はチップのつもりで釣銭を断り、袋を下げて店を出た。 すれ違いに、腕を絡ませた頭の悪そうなカップルが甘ったれた声で会話しながら入っていった。彼らもO夫妻の家に行くつもりなんだろう。 車に乗り込み、アプリを止めてちゃんと録音できているか確認した。 ――俺はゾッとして、今夜は取材をやめて引き上げることにした。 ↓ ↓ ↓
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August 02, 2020 at 06:08AM
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