近年では大量の農薬や化学肥料を使った工業的農業に対する問題意識から、化学肥料・農薬などを使わない有機農業への注目が集まっています。インド洋に浮かぶスリランカでは、「化学肥料や農薬の輸入を禁止し、国内の農業をすべて有機農業へ転換する」という大胆な政策が実行されましたが、これは農家に大きな打撃を与えて失敗に終わりました。なぜスリランカの有機農業政策が失敗したのかについて、アメリカのニュース誌であるフォーリン・ポリシーが解説しています。
Sri Lanka's Organic Farming Experiment Went Catastrophically Wrong
https://foreignpolicy.com/2022/03/05/sri-lanka-organic-farming-crisis/
スリランカでは1960年代から、合成肥料を購入する農家に対して補助金を与えており、これにより米やその他の作物の収穫量が従来の2倍以上になりました。そのおかげで、1970年代に深刻な食糧不足に見舞われた際も、収穫量の多かった茶やゴムの輸出で外貨を獲得し、食糧を他国から輸入することで安定した食糧供給を保つことができたとのこと。農業生産性の高まりによって余剰労働力が発生し、都市化が進みましたが、2020年には肥料の輸入費および補助金の総額が5億ドル(当時のレートで約550億円)に達していました。
そんな中、2019年の大統領選で、10年間でスリランカの農業をすべて有機農業に移行するという公約を掲げたゴタバヤ・ラジャパクサ大統領が当選しました。ラジャパクサ大統領は就任後、有機農業への移行に否定的な国内の農業専門家や科学者らを、有機農業への移行に関する農業セクションから遠ざけました。代わりに、農業大臣や一連の委員会に「Viyathmaga」という有機農業推進派の市民団体のメンバーを任命したとのこと。
ラジャパクサ大統領が就任してから数カ月後、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックが発生し、スリランカの観光業は大きな打撃を受けました。2019年には観光業がスリランカの外貨獲得源の約半分を占めており、2021年初頭にはスリランカ政府の予算と外貨準備は深刻な危機に陥ったそうです。
そこでラジャパクサ大統領は、国内の農業すべてを有機農業へ移行させる政策を一気に推進し、2021年4月に「化学肥料や農薬を禁止する」と発表しました。これには選挙公約を実現することに加え、肥料購入費や補助金のカットによる支出削減というメリットもありました。
しかし、この政策の前に約200万人に上るスリランカの農家は十分な移行期間が与えられず、化学肥料の代わりに必要となる有機肥料の生産も追いついていませんでした。その結果、「有機農業は従来の農業に匹敵する収穫量を生み出せる」という主張に反し、最初の6カ月でスリランカの主食である米の収穫量が20%減少してしまい、国内価格が50%も急騰した上に4億5000万ドル(約620億円)相当の米を輸入することになってしまったとのこと。
また、主要な輸出物である茶やゴム、ココナッツなどの収穫量も大幅に減少してしまったため、2021年11月にはこれらの主要輸出物について化学肥料の使用を部分的に認め、2022年2月には主要輸出物について有機農業への移行を停止しました。スリランカ政府は農家に2億ドル(約270億円)の直接補償を行い、損失を被った米農家にはさらに1億4900億ドル(約200億円)の補助金を出しましたが、農家からは補償が不十分だとする批判の声が上がっています。推定によると、茶の生産量減少だけでも経済的損失は4億2500万ドル(約580億円)に達するとされています。
フォーリン・ポリシーは、「計画が発表された当初から、スリランカと世界中の農学者は収穫量が大幅に減少すると警告していました。政府は、輸入された化学肥料の代わりにその他の有機肥料の生産を増やすと主張しましたが、不足分を補うのに十分な肥料を国内で生産する方法はありませんでした」「有機農業の信者に農業政策を引き渡し、輸入肥料を禁止するという誤った経済政策により、スリランカの人々は深く傷つけられました」と述べ、見込まれていた外貨支出や補助金の削減も、収穫量が減った分の食料輸入や損失を被った農家に対する補償のコストが上回ったと指摘しました。
スリランカにおける有機農業への移行が失敗に終わった理由について、フォーリン・ポリシーは「農業はかなり単純な熱力学的な法則に基づいています」と指摘。農業生産高は農薬・養分・土地・労働力・灌漑(かんがい)といった農業投入物に大きく左右されており、人類は長らく耕作する土地の拡大と家畜の排せつ物から作った肥料の追加で作物の収穫量を増やしてきました。それでも、わずか200年前までは世界人口の90%以上が農業に従事しないと、人々を養うのに十分な食糧が生産できませんでした。
ところが19世紀に入ると、世界貿易の拡大によって海鳥やアザラシの排せつ物が化石化したグアノが採掘され、肥料としてヨーロッパやアメリカの農場に輸入されるようになりました。これと機械化の進展などが相まって、いくつかの農場では大幅に農業生産性が向上し、余剰労働力が都市に流れ込んで大規模な都市化が進展したとのこと。
しかし、真の変革を農業にもたらしたのは、20世紀初頭にアンモニアを作り出すハーバー・ボッシュ法が開発され、化学肥料の製造が始まったことでした。化学肥料は世界中の農業を再構築して収穫量を大幅に増大させ、人々の生活は大きく変化しました。記事作成時点では約80億人が地球に暮らしていますが、このうち40億人分の食糧は、化学肥料による収穫量の増加に依存しているとフォーリン・ポリシーは指摘しています。
そんな化学肥料を使わない有機農業を行っているのは、化学肥料を買う余裕さえない貧困国の農家か、世界で最も裕福な先進国の農家です。先進国の人々にとって、有機食品は健康や環境保護と結びついた選択肢となっていますが、依然として世界の農業生産の1%未満を占めるニッチな市場にとどまっています。
フォーリン・ポリシーは、有機農業は有機肥料をたくさん使うことで「悲惨なほど低くはない収穫量」を維持できるものの、それがうまく機能するのは「大規模で工業化された農業システム内」にあるからだと指摘。一部の農家が有機農業へ移行することはエネルギー的に問題ありませんが、スリランカのように国家ごと有機農業へ移行する場合、それを可能にするだけの有機肥料の生産がネックとなります。「小さな島国にそれほど多くの有機肥料を生産するのに十分な土地がないことは確実です。これほど多く家畜の糞尿を生産するには、家畜を飼育する土地の拡大が必要であり、それに伴う環境破壊もあります」とフォーリン・ポリシーは述べました。
EUは長年にわたり持続可能な農業への移行を約束しており、農薬や化学肥料の過剰使用を禁止する政策も実施されているものの、全体では依然として化学肥料に大きく依存しています。また、ブータンは「2020年までに有機農業へ完全移行する」という計画を持っていましたが、記事作成時点でも多くの農民が化学肥料に依存し続けています。
上記の例でもわかるように、一国の農業を丸ごと有機農業へ移行することは並大抵のことではありません。フォーリン・ポリシーは、化学肥料の適切な使用やバイオエンジニアリングを用いた土壌の改善、より農薬や除草剤が少なくても大丈夫な遺伝子組み換え作物の導入など、技術的な解決策が必要だと指摘。「農家から生活にとって重要だと証明されている古い道具を取り除くのではなく、新しい道具を与えるのです。これによりスリランカのような国々は、農民を貧困に陥れたり経済を破壊したりすることなく、農業の環境に対する影響を緩和できます」と主張しました。
なお、スリランカはパンデミックによる観光業の減退と、ロシアのウクライナ侵攻に伴う物価上昇や通貨下落などの影響で、2022年7月にラニル・ウィクラマシンハ首相が国の「破産」を宣言。大規模な抗議デモが勃発する中、ラジャパクサ大統領は7月9日に辞任する意向を表明し、13日未明に軍用機でモルディブに国外脱出したと報じられています。
ラジャパクサ大統領が国外脱出 モルディブ入りか―スリランカ:時事ドットコム
https://www.jiji.com/jc/article?k=2022071300147
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