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Sunday, February 23, 2020

不死鳥のごとく復活したロンドン北部への旅 - ナショナル ジオグラフィック日本版

英国ロンドン北部は活気を取り戻しており、それを支えるのがセント・パンクラス駅だ。近年、駅舎の改修も進められている。(PHOTOGRAPH BY GEORG KNOLL, LAIF/REDUX)

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 赤れんがの外壁とそびえ立つ時計塔――英国ロンドンを訪れたら、セント・パンクラス駅舎は見逃してはいけない。1860年代のビクトリア朝のネオ・ゴシック建築は、傑作と高く評価されている。 (参考記事:「2016年2月号 地下に眠るロンドン」

 実は、完成から100年後の1970年代、当時の国鉄は駅舎を解体し、土地を別の目的に使う計画を立てていた。そのとき、割って入ったのが、このビクトリア建築を愛する詩人だった。

 この人こそサー・ジョン・ベッチェマンだ。同氏は後に英国の桂冠詩人に王家から任命されるほど、人気があった人物だ。ベッチェマンは、駅舎を救う運動を成功に導き、セント・パンクラス駅が欧州大陸へと向かう国際列車「ユーロスター」のターミナル駅として国際的な鉄道駅となり、駅の周辺地域も活気を取り戻すきっかけをつくった。

 現在、セント・パンクラス駅の中2階には、帽子を手で押さえ、壮麗な円天井を見上げるベッチェマンの像が立つ。像の足元のプレートには、「この素晴らしい駅を救った人物」と銘が刻まれている。そして、その下を、大勢の旅行者が行きかい、ラフバラーやルートンなどロンドンから北へと向かう列車、フランスのパリやベルギーのブリュッセルに行く国際列車ユーロスターを待っている。

石炭から自然保護へ

 ベッチェマンの魂は郵便番号N1の周辺にも波及し、駅周辺では、建設工事が進む。今では、駅自身が旅の目的地となってもおかしくないほどだ。

 セント・パンクラス駅とキングス・クロス駅の間では、工業地帯がカフェや店舗、高級アパートに姿を変えた。リージェンツ運河を渡ったグラニー・スクエアでは2012年、穀物の貯蔵庫がレストランやバーに生まれ変わった。 (参考記事:「2012年8月号 イースト・ロンドン物語」

 2018年には、コール・ドロップス・ヤードが生まれ変わった。この名は、貨物(ホッパ)車から石炭を落としていたことに由来し、1980年代からは、古い倉庫や高架橋が放棄されていた。こうした施設で、無許可のレイブ(音楽を流すイベント)が開催され、クロス、キー、バグリーズ(キャンバスに改称)などの重要なナイトクラブが誕生していく。

 コール・ドロップス・ヤードは、2つの建物の屋根が左右対称に曲線を描き、太陽の光が当たると、まるで翼のように見える。周囲の直線で構成された工業的な空間を背景に、有機的な形がよく映える。屋根の下には、デザイナーブランドの店舗、高級レストランが軒を連ねる。

 片方の建物沿いには、馬車小屋のような空間がある。鉢植えの植物とさまざまな家具が並べられ、リデンプション・ロースターズでフラットホワイトを注文するコーヒー好きの姿が見られる。アイルズベリー刑務所でローストされたコーヒー豆を使用しており、受刑者たちはバリスタになるための訓練も受けている。

 リージェンツ運河の引き船道には、ビクトリア朝時代のガスタンクが3つある。この辺りも、現在は高級アパートとして再利用されている。装飾を施された鋳鉄製の骨組みが円筒形の建物を取り囲む。

かつて鉄道用の石炭が捨てられていたキングス・クロスのコール・ドロップス・ヤード。人気スポットへと生まれ変わり、古いレコードや専門店のコーヒーを求める人々でにぎわう。(PHOTOGRAPH BY JAMES VEYSEY, CAMERA PRESS/REDUX)

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次ページ:危険な歓楽街は、正統派のパブへと変わった

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