カン・サンジュン/1950年、熊本県生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了。東京大学名誉教授。主な著書に、『マックス・ウェーバーと近代』『悩む力』『朝鮮半島と日本の未来』、共著に『グローバル化の遠近法』『アジア辺境論』『新世界秩序と日本の未来』ほか多数。最新刊に『それでも生きていく 不安社会を読み解く知のことば』。
やまぎわ・じゅいち/1952年、東京都生まれ。京都大学大学院理学研究科博士後期課程単位取得退学。理学博士。京都大学総長、日本学術会議会長等を経て、現在、総合地球環境学研究所所長。主な著書に『家族進化論』『暴力はどこからきたか』、近著に『虫とゴリラ』(共著)、『スマホを捨てたい子どもたち 野生に学ぶ「未知の時代」の生き方』ほか多数。
人物交流で描く歴史 近世を知るべき理由は
姜 先人がたどってきた歴史には、おびただしい数の侵略や戦争がある一方、交易や宗教・思想の伝播があります。そんな様々な人の「交流」を軸に歴史を描いたのが『アジア人物史』です。国の永遠の繁栄を願う君主が自身は50〜60年足らずで世を去る……というような、儚(はかな)さもはらんだ人の生涯から歴史を見つめたい、という思いもありました。
山極さん、人間の社会というのは、ゴリラやチンパンジーのそれと根本的にどこが違うのでしょうか。
山極 ゴリラたちは一つの群れにしか所属できないのに対し、ヒトは自らの集団以外とも交流しネットワークを広げることができた。これは、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの違いでもあり、後者が生き残った大きな原因であると考えられます。
ですが、そもそも「現代人が信頼できる人間関係の上限は150人程度」という説があるんです。つまり、上限を超えた人との交流がむしろコンフリクトを拡大している。それが人間社会だと思います。
姜 なるほど。対立が起きるのはある種、必然というわけですね。第7・8巻に登場する、オスマンや明、清などの強大な「帝国」は、社会を維持するための一つの安定装置だったともいえますね。
山極 そうですね。しかし近世は「西洋の軍拡の時代」ともいわれる通り、ヨーロッパ諸国の参入によって人物交流はまたガラッと変わります。
姜 大航海時代以降、近世の時点では、アジア全域の国内総生産はヨーロッパを凌駕(りょうが)していました。その力関係が逆転するのが1820年以後。
つまり、第7・8巻で取り上げる16〜19世紀というのは、世界史上の「地理的舞台転換」が起こった時代であり、植民地支配によってアジアの人々の生活のありようが根底から変わった時代でもある。まず近世アジアを知ることが、その前後の時代や今日のアジアを考えるうえでは欠かせないと思っています。
いまも世界に蔓延する「普遍性」のワナ
姜 自らの領土に無いものを求めて世界に出て行き、そのありようを変えようとする──。大航海時代に端を発する植民地支配のこの発想には、ヨーロッパに通底するとされる「禁欲的な勤勉さや労働倫理」より、むしろ「グリーディ(貪欲)さ」を感じてしまうのですが。
山極 それには人的要因だけでなく、自然環境も関係しているのではないでしょうか。亜熱帯・熱帯に属するアジアに比べて土地の収量力が低いヨーロッパの方が、領土を獲得する必要性に迫られたという側面はあるでしょうから。
一方、アジアに目を向ければ、異なる宗教間の大きな争いは少ないように思いますし、清やムガル帝国では、巨大な人口を抱えながら、民を食べさせ国を治めていました。そうした秩序を支えてきた世界観や自然観、いわば“知恵”のようなものは、人物史をひもとくことでより鮮明になるかもしれませんね。
姜 今日の世界を見渡しても、自分たちが「普遍性」の申し子であり、それ以外は「異端」「特殊」であるという考えは蔓延しています。普遍的なるもの──例えば、市場万能型資本主義や宗教的原理主義──を半ば強引にあてはめた結果、対立が激化したり、ほころびが生まれたりしている例は多々あります。
それを相対化すること、また、それぞれの文明圏の歴史・文化の中で涵養されてきたものに重きをおくこと。それが、国・地域の力を高め安定させる、ひいては世界の秩序を保つことにつながるのではないでしょうか。
山極 その通りですね。国・地域にはその土地や自然に合った暮らし・文化があり、その中でアイデンティティーが育まれ、人は幸福感を覚える。ICTプラットフォームのごとく一元化された仕組みを押しつけても社会というのはうまくいかない。そこを忘れてはいけないと思います。
「風景」を思い描き、空間の広がりを感じて
姜 この本は分厚いので、最初から全部読もうとすると息切れしてしまうかも(笑)。まずは、興味ある時代の巻、それも目次で気になった人物の箇所だけ読めばいいと思います。人の関係性というのはリゾーム状につながっていますので、読み進めるうちに自然と関心も広がるはずです。
第7・8巻で僕が個人的に興味深かったのは、雨森芳洲です。江戸時代の日朝通交を対馬藩で支えた儒者ですね。朝鮮と決定的な争いにならぬよう心を砕き、何とか関係を保っているその様子は、現代のそれに重なるような錯覚を覚えました。
山極 僕が面白かったのは、清末期の西太后ですね。彼女には悪女というイメージがつきまといますが、実際の政治手腕はどうだったのか。どう振る舞い味方を作ったのか。見事に描かれています。
読者の皆さんにはぜひ、それぞれの時代の「風景」を思い描きながら読んでみてほしい。この人物はどういう地域、環境で暮らしていたのか。そこにどんな物産があったのか。調べながら読めば、理解は一層深まります。
この本を通して、アジアや日本、そしてヨーロッパで起きていることは“地続き”なのだとあらためて実感しました。世界史・日本史・地理と個別に学ぶことで分断されがちな「空間の広がり」「世界のつながり」を感じられる有意義な本だと思います。
姜 今日は啓発的なお話ができて楽しかったです。またお会いしましょう。
- 『アジア人物史』第7巻 近世の帝国の繁栄とヨーロッパ
- 「アジア」と名指される広大な領域を、東西南北、古代から21世紀へと、縦横無尽に駆けめぐる。
現代のアジア史研究の第一人者である編集委員たちと、東洋史研究の伝統を継承した人々が、古代から21世紀までを展望し、圧倒的個性を掘り起こす。
カバーイラストは荒木飛呂彦描き下ろし。 - 総監修:姜尚中
- 編集委員:青山 亨・伊東 利勝・小松 久男・重松 伸司・妹尾 達彦・成田 龍一・古井 龍介・三浦 徹・村田 雄二郎・李成市
- 発行:集英社
- 全12巻+索引巻
『アジア人物史』特設サイト
- 『アジア人物史』第8巻 アジアのかたちの完成
- 「アジア」と名指される広大な領域を、東西南北、古代から21世紀へと、縦横無尽に駆けめぐる。
現代のアジア史研究の第一人者である編集委員たちと、東洋史研究の伝統を継承した人々が、古代から21世紀までを展望し、圧倒的個性を掘り起こす。
カバーイラストは荒木飛呂彦描き下ろし。 - 総監修:姜尚中
- 編集委員:青山 亨・伊東 利勝・小松 久男・重松 伸司・妹尾 達彦・成田 龍一・古井 龍介・三浦 徹・村田 雄二郎・李成市
- 発行:集英社
- 全12巻+索引巻
『アジア人物史』特設サイト
からの記事と詳細 ( 集英社創業95周年記念企画『アジア人物史』記念対談 アジアの歴史に学ぶ、新たな世界秩序のカギ|〈PR〉集英社|朝日新聞EduA - 朝日新聞EduA )
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