グレイス・ツォイ、ジェフ・リー、BBCニュース
香港は1997年にイギリスから中国に返還された。ここから、壮大な政治実験が始まった。
多くの人は、資本主義で自由なイギリスの旧植民地が、共産主義国家・中国の統治下でやっていける心配していた。
そこで中国政府は、他の地域では手に入れられない市民的自由を、香港では少なくとも50年間、「一国二制度」の下に保持すると約束した。
あれから激動の25年が過ぎ、実験も折り返し地点に到達した。
次の25年、香港には何が待ち受けているのだろうか?
政策の転換
まず、香港の政治的自治と自由はどれくらい維持されるのかという大きな疑問がある。
返還前には大勢が、中国は徐々にリベラルになり、やがては香港に完全な民主主義を許すのではないかと期待していた。
これはイギリスと中国が交わした、香港の憲法ともいえる「香港特別行政区基本法」にも含まれている約束だ。
基本法では、行政長官とすべての立法会(議会)議員が最終的に普通選挙で選ばれるよう、段階的な選挙制度改革を定めている。
アナリストらは今、香港の政治体制が今後、今より民主的なものになる希望はほとんどないし、中国政府が完全に掌握した香港で、街の性格が根本的に変わってしまったと恐れている。
元民主派議員の許智峯氏は、「多くの香港市民が、一国二制度はすでに失われたと思っている」と語った。許さんは現在、香港から離れている。
国安法の影響を受けるのは少数派だというのが当局の言い分だが、許氏は、かつて活発だった香港の市民社会が国安法に抑圧されていると指摘する。
かつてはアジアの報道の自由の灯台だった香港だが、国境なき記者団(RSF)は今年、世界報道自由度ランキングで香港を前年から70位落として148位とした。
香港には平和的な抗議の伝統もあった。しかし、国安法の施行以来、抗議行動は影をひそめた。
アメリカ拠点の香港民主委員会で政策・調査フェローを務めるジェフリー・ゴー氏は、「香港では当面、大規模な抗議行動は起きないと言っていい思う」と語る。
「2020年以降の香港には、刑務所に収監されて何もできない人と、刑務所に入りたくないというもっともな理由で自己検閲する人がいる」
中国当局は、最近の変更は「一国二制度」に必要な「改善」だと主張しており、2047年以降も続くかもしれない「広く認められた成功」だと評価している。
親中派の李梓敬議員はさらに、香港の人は今なお市民的自由を謳歌(おうか)していると話した。
「国家の安全保障に関係しない限り、人はさまざまな問題について意見を表明することができる。さらに審理が重ねられ、何が国家安全保障に関わるかは裁判所が判断する」
李議員はまた、中国政府が国安法を成立させ、選挙制度を変更したのは、香港が「政治化」しつつある中、2019年に立法会が民主派によって麻痺させられた時に「臨界点」に達したからだと説明した。
その上で、「私に言わせれば、国安法も選挙制度の変更も、民主化推進派がもたらしたものだ」と述べ、穏健派の声が「疎外」されていたと付け加えた。
李議員は、香港の香港らしさはまだ多く残っており、2047年以降も続く可能性があると信じている。
「中央政府の代弁はできないが、主目標は香港の繁栄を維持することだと思う」
国際金融都市か、中国の金融都市か
もう一つの疑問は、香港が国際的な金融ハブとしての立場を維持できるかどうかだ。
「東洋の真珠」とも呼ばれる香港の域内総生産(GDP)は、1997年時点で中国の2割近くに相当していたが、現在はわずか2%にとどまっている。さらに香港は現在、上海をはじめとする中国の各都市との熾烈(しれつ)な競争に直面している。
「中国が今ほど発展していなかった25年前、香港は非常に発展し、国際的につながりのある都市として際立っていた」と、格付け大手S&Pグローバル・レーティングスで・アジア太平洋主任エコノミストを務めるルイス・クイジス氏は語る。
「今では多くの国が経済的に香港に追い付いてきている」
それでもクイジス氏は香港について、国際的に認められた法制度と「世界に向けて非常に開かれた」金融市場があるため、なお「中国に出入りするための優れた玄関口」になっていると話した。
しかし中国政府との緊張の高まりや、厳格な「ゼロ・コロナ」のパンデミック対策などにより、国際企業が香港に魅力を感じなくなっているのではないかとの懸念が増えているという。
香港に地域本部を置く国際企業の数は、2018年から2021年にかけて10%近く減少した。一方で、中国企業の進出数は28%近く増えている。
「香港の在り方は進化している。おそらく前より国際的でなくなり(中略)前より少し中国志向になってきている」とクイジス氏は指摘した。
あなたは香港人? 中国人?
しかし最も喫緊な疑問の一つは、香港人であることが何を意味するかだ。
ここ数年、多くの市民が香港を離れ、別の国に移住している。
このビザは香港市民540万人の約70%が対象。5年間の滞在と就業・就学の権利を与えるもので、市民権獲得への道も開かれている。
香港では過去にも、1984年に返還に先立って英中共同声明が結ばれた際や、1989年の天安門事件直後など、政治的に不安定な時期に移民が急増した。
しかし香港民主委員会のゴー氏は、今回は状況が違うと指摘する。
かつての転出組は、「政治的な脅威は考えられるが、それほど悪い状況にならない可能性もあると思っていた」のだという。
「しかし今は、その可能性はもうない。今回、香港を離れる人たちは、もう二度と戻らないつもりで行動している」
こうした移民は、自分は香港人だと認識し続けるだろうと、ゴー氏は言う。そして、転出した香港人の活動家らは今後も香港の民主主義のために闘い続け、「抵抗運動を国外から築いていく」はずだと話した。
一方、親中派の李議員は、香港で育った若い世代はもっと愛国的になるだろうとみている。
「私の子供たちは、国旗掲揚の式典について話してくれるし、時には自発的に中国国歌を歌うこともある」
「この世代は、2019年に街を占領した若者らとは同じ気持ちではないかもしれない」
こうした変化によって、香港ならではのアイデンティティーが失われるかもしれないと心配する人たちがいる。ゴー氏もその1人だ。
「2047年になるころには、香港と中国の間にこれといった違いがもうなくなっているかもしれない。私はそれを一番心配している」
からの記事と詳細 ( 香港返還から25年、次の25年に何が起こるのか - BBCニュース )
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