企画展「生誕150年 山元春挙」が4月23日(土)から6月19日(日)まで、滋賀県立美術館で開催されます。
山元春挙(1872年〜1933年)は、明治から昭和にかけて活躍した日本画家です。竹内栖鳳と共に京都画壇の代表勢力として知られています。力強く壮大な画風と鮮やかな色彩で人々を虜にし、多くの作品が宮内庁御用画となりました。
山元春挙の生誕150年を記念する本展では、滋賀県立美術館のコレクションと各地の優品から、合わせて80件(会期中展示替え有)を紹介。春挙の初期から晩年までの画業を3章構成で辿ります。
企画展「生誕150年 山元春挙」 |
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会期:2022年4月23日(土)~6月19日(日) |
会場:滋賀県立美術館 展示室3 |
開館時間:9:30~17:00(入場は16:30まで) |
休館日:月曜日 |
観覧料:一般1,200円/高大生800円/小中生600円 |
詳しくは館の公式サイトへ |
第一章 画業の始まり
1872(明治4)年に滋賀県に生まれた春挙は、10代で京都の四条派の画家である野村分挙(1854〜1911年)に入門します。
師匠の分挙が上京したため、1886年、分挙の師であり「明治の応挙」と称された森寛斎に改めて師事しました。その年に春挙は京都青年絵画協会に出品し、一等褒状を受けます。わずか14歳にして、春挙は本格的な画業をスタートさせたのです。
第一章では、若くして画壇にデビューした明治20年代から30年代前半ごろの作品を展示します。初期の春挙は、《西王母之図》など中国の故事や伝承を題材にした作品を描く一方で、《海浜風物図》や《深山雪霽鹿》など、山水画的な様式をなぞりながらも後の画風を思わせるダイナミックな表現にも挑みました。
第二章 画壇の中心へ
1901(明治34)年、第7回新古美術品展に出品した《法塵一掃》が一等二席を獲得したことを機に、春挙の評価はますます高まっていきました。文展(国が主催する公募展)に出品した作品は次々と政府買い上げになり、春挙の画壇での地位は着実になっていきます。
第二章では、明治30年代後半から大正前期までの作品を紹介。画壇の中心として活躍しつつ、新たな絵画表現を開拓していった春挙の足跡を追うことができます。
例えば、セントルイス万博の視察で渡米した経験を活かした《ロッキーの雪》には、山並みの雪景が写実的に映し出されています。やや様式的な風景表現から新たな表現へと展開が生まれたことを表す作品と言えるでしょう。
色彩表現の変化も見られます。明治40年代頃までの作品にはセピア調の色彩が見られましたが、大正期に入ると群青や緑青などを用いた鮮やかな色彩へと変化していきます。
第三章 帝室技芸員として
1917(大正6)年、春挙は帝室技芸員に任命されました。帝室技芸員とは、皇室による美術工芸家の保護や制作の奨励を目的として、選出された美術工芸家を指します。帝室技芸員に任命されることは、当時の美術工芸家にとって最高の名誉と言っても過言ではありません。
第3章では、春挙が帝室技芸員に任命されてから晩年までの作品を紹介します。
春挙は1933年に61歳で急逝するまで、《山上楽園》《春の海》《しぐれ来る瀞峡》《瑞祥》など、数多くの作品を発表し続けました。
特に山岳や水辺を描いた風景画においては、他の追随を許しませんでした。鮮やかな色彩、写実的な表現の根底にあるのは、10代の頃からの写真技術への興味や、自ら山に登り目にした風景を作品に写し取る姿勢であったと言えます。
日本画家・河野沙也子さんの伝記マンガも配布!
会場では、日本画家・河野沙也子さんによる山元春挙伝記マンガも配布されます。河野さんは美術展ナビでも、鏑木清方など日本画家の人となりを漫画でわかりやすく解説しています。春挙の人となりにも着目すると、作品への理解がより深まることでしょう。お楽しみに。
(ライター・三間有紗)
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