Pages

Friday, June 25, 2021

幻の東京五輪・万博ダブル開催 壮大な事務局棟の行く末 - 朝日新聞デジタル

■メディア空間考 石田博士(コンテンツ編成本部長補佐)

 東京・隅田川にかかる勝鬨(かちどき)橋は81年前にかけられた。いま、周囲には「TOKYO2020」の小旗がはためく。

 晴海通りが通るこの橋を自転車で行き来するたび、東京オリンピック(五輪)のことばかり考えている。

 2021年でも、1964年でもない。中止になった幻の1940年大会だ。

 神話上の神武天皇即位から2600年とされる1940年(昭和15年)、日本は国威発揚の記念事業として、東京で五輪と万国博覧会、そして札幌冬季五輪という三つの巨大事業の開催を予定していた。

 五輪のメインスタジアムは、曲折を経て駒沢が予定地になった。一方、万博の予定地は、埋め立てが完了したばかりの月島4号地(晴海)と5号地(豊洲)だった。

 勝鬨橋は、銀座から万博会場に至るゲートウェーとして33年に建設が始められた。晴海には、まず事務局棟が建てられた。木造2階建てで延べ面積約5485平方メートルという壮大な建物だった。

 だが37年7月に盧溝橋事件が発生。中国大陸での戦線は拡大していった。

 海外からは「交戦国で平和の祭典を開くのか」と中止論が出された。国内でも国家総動員法が制定されるなか、開催返上の意見が高まり、政府は38年7月15日の閣議で、東京、札幌の二つの五輪中止と万博延期を正式に決定した。

 世論はどう受け止めたのか。

 歴史家の保阪正康さんに昨夏…

この記事は会員記事会員記事です。無料会員になると月5本までお読みいただけます。

残り:1162文字/全文:1771文字

Adblock test (Why?)


からの記事と詳細 ( 幻の東京五輪・万博ダブル開催 壮大な事務局棟の行く末 - 朝日新聞デジタル )
https://ift.tt/3vSflFX
壮大な

No comments:

Post a Comment