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Saturday, March 13, 2021

【山城を攻めろ】岩村城 - 岐阜新聞



 「日本三大山城」に数えられ、城郭ファンにも名高い岩村城(岐阜県恵那市岩村町)。階段状に積み上げられた山頂の石垣群は、その風格を漂わせている。

 信濃や三河の境界が迫る美濃の東端。急峻(きゅうしゅん)な城山に築かれ、姿や役割を変えながら明治の廃城令まで存在した長い歴史を持つ。遠山氏が治めた戦国期には武田と織田が激しい争奪戦を繰り広げた。1575年、織田信長の嫡男信忠が攻め落とし、その後は織田方の対武田「最前線」として機能した。

 遺構のほとんどは、関ケ原の戦い後に松平氏によって築城されて以降のもの。江戸中期の絵図によると、新たに整備された城郭には、複数の曲輪(くるわ)や櫓(やぐら)、門などが張り巡らされていた。

 見どころはやはり山全体に残る壮大な石垣遺構。登城口からは30年ほど前に石畳の道が整備され、歩きやすい。注目ポイントの一つは「追手門跡」。L字形に橋が架けられ、その先は「枡(ます)形」構造になっていた。石垣がその名残をとどめる。当時は三重櫓が立っており、城下町の本通りから正面に見上げることができたという。天守のなかった岩村城にとって象徴的な存在だったに違いない。

 標高約700メートルの山頂では巨大な石垣「六段壁」が来城者を出迎える。最初に築いた石垣を補強するうちに6段になったという。一番高い場所には本丸跡、階段状に櫓や曲輪の跡が広がる。複雑に入り組んだ石垣群を見上げると、積み方が異なる部分も多い。江戸期を通じて改修を重ねながら威容を残し、往時の面影や長い歴史の一端を伝えている。

カテゴリ: くらし・文化 動画



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