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Saturday, January 16, 2021

五十嵐さんの発祥は新潟? 由来を調べると壮大な展開に - 朝日新聞デジタル

 全国で出会う「五十嵐さん」。その「発祥の地」に赴任した新人記者がルーツを追うと、古代史や民俗学にまで連なる奥深き世界が待っていた。驚きの扉は、その読み方から。

     ◇

 衝撃だった。

 「“いがらし”じゃありません、“いからし”です」。埼玉出身の記者(23)は、「五十嵐」に別の読みが存在するなど考えたこともなかった。しかも新潟は“いからし”が多く、五十嵐発祥の地でもあるという。五十嵐とは何か――。源流をたどった。

 まずは歴史から。目を付けたのが県指定史跡「五十嵐館跡」(三条市)だ。北陸道三条燕インターチェンジから南東に約10キロ。山あいの国道を抜け、田園が広がる新潟県旧下田村にある。

 現地は草地で、建物の形跡はない。ただ、解説文には「源頼朝に仕え、豪勇で知られた五十嵐小文治吉辰(いからしこぶんじよしたつ)が築いたものと伝えられています」とあった。村の1972年発掘調査の報告書によると、館は鎌倉時代前期には完成したという。

 これが最初の「五十嵐」なのか。三条市の生涯学習課文化財係に確認した。「把握している限り、五十嵐氏についての最古の記述は、鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』に出てくる五十嵐小豊次(こぶんじ)です」と担当者。1213年に北条氏と和田氏が戦った和田合戦で、北条方の武士として記述がある。原文表記に近い「吾妻鏡」(吉川弘文館)は、確かに「敵于彼之軍士等無免死。所謂五十嵐小豊次、葛貫三郎盛重……」と列挙している。

 これが「五十嵐館」の主、小文治吉辰なのか。「“小豊(文)治”は世襲」とする郷土史家の書物もあったが、よくわからなかった。ただ、市によると、周辺を治める五十嵐氏という豪族が記載された資料は複数あり、「小文治吉辰は小豊次の親族や子孫と考えられる」と話す。

五十嵐(いからし)神社を訪ねる

 実は、「館」の近くには神社もある。鎌倉時代以前の創建と伝わる「五十嵐(いからし)神社」を訪ねた。まつるのは、11代垂仁天皇の第八皇子と伝承される「五十日足彦命(いかたらしひこのみこと)」だ。

 「豪族の五十嵐氏は五十日足彦命の子孫と名乗ってきたと伝え聞いています」と宮司の金沢光幸さん(86)は証言した。1972年に父で宮司だった貢さん(故人)がまとめた「五十嵐神社由緒」によると、五十日足彦命は古代の新潟あたりを指す越国を開拓して稲作を広めた、とされる。

 金沢さんによると、平安時代中期の10世紀に編集された「延喜式神名帳」に「伊加良志(いからし)神社」が登場するという。これが五十嵐神社の前身というのが金沢さんの説だ。

 「五十嵐」の歴史に関心を持ち、多くの資料を集めてきたという金沢さん。祭神の「イカタラシ」から「イカラシ」に転じ、さらに「イガラシ」に至ったと結論づける。漢字は、農作に向いた気候を表す「五風十雨(ごふうじゅうう)」が由来ではないかとみる。

 日本語の歴史に詳しい二松学舎大特別招聘(しょうへい)教授の沖森卓也さん(68)に聞いた。「2語が結合した時など言葉が変化して濁音がつく例は多々ある。イカラシの場合も、発音しやすいように変化した可能性が高い」ということだった。

 近くを流れる五十嵐川も調べた。県立図書館所蔵の1060年当時の古地図には「五十足川」、1089年当時には「五十嵐川」と記載されていた。ただ、いずれも江戸時代に復元されたもので、史料としての信用度は低いようだ。

全国規模の大勢力に

 越後の地方豪族だった「五十嵐」は、いまや全国規模の大勢力だ。明治安田生命による全国の契約者約655万人を対象にした2018年の調査では、五十嵐は大久保、小野寺などのライバルを抑え、漢字3文字の名字では佐々木、長谷川に次いで3番目に多かった。新潟には特に多い、との指摘もある。

 その「五十嵐」の懇親と振興を図るのが、「全国五十嵐会」だ。五十嵐神社が各地の五十嵐さんの集まりとして1996年に始め、「五十嵐」にまつわる講演や懇親会を1泊2日の日程で催す。ブラジルに移民した五十嵐さん一家が参加したり、父親の旧姓が「五十嵐」だった新潟県出身の歌手三波春夫さんがビデオメッセージを寄せたりしたこともある。24回目の昨年は約40人が参加した。

 三条市の隣の見附市で市議を務め、これまで10回ほど五十嵐会に参加したという五十嵐(いからし)勝さん(71)は「知らない人でも親しみが湧くし、家系の歴史の話を聞けるのが面白い」とその魅力を語る。

 各地に「五十嵐」が広まった経緯は判然としない。地元の郷土研究者だった丸山数政さん(故人)は著書「五十嵐の奔流」で、戦国時代に五十嵐氏が戦に敗れ、各地に散り散りになったのがきっかけだった、と記す。

 「イカタラシ」起源説には異説もある。「見晴らし台」という意味のアイヌ語「インカルシ」が語源とする「アイヌ語由来説」だ。三条市内を流れる五十嵐川沿いの巨岩「八木ケ鼻」を指すと唱える1人が、前三条市長の国定勇人さん(48)。在任中、様々な専門家らの意見を聞いた結果といい、「固執するわけではないが、遠く離れた土地の言葉が語源だと考えると不思議でロマンがある」と話す。

 取材すると、アイヌ語に由来する地名は東北以北に限られると複数のアイヌ研究者の著書にあったが、九州に現存するとの説もある。

 「イカタラシ説もアイヌ説も古くから言われており、どちらとも決めがたい」と三条市内の地名を調べる三条地名研究会の会長、杉野真司さん(56)はいう。取材をしていると、新潟市西区の五十嵐(いからし)浜を由来とする説も見つけた。「日本の名字読み解き事典」(丹羽基二著)によると、「磯を吹き荒らす浜」という意味が「五十嵐」の語源だというが、ほかに同様の主張は見あたらず、少数意見のようだ。

 「名前の研究は、調査すればするほど別の説が出てきて簡単には分からない。でも、その過程でああだこうだと想像できるのが面白い。なぞ解きのような魅力があります」と杉野さん。「五十嵐」の謎の解明は継続課題としたい。(小川聡仁)

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