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Sunday, May 3, 2020

第3話 AIと恐慌 ── バタフライ・ドクトリン 第1章 FUKA-SIGI【不可思議】 - Forbes JAPAN

ファンド・マネージャーという異色の経歴を持つ作家・波多野聖が書き下ろす、壮大な歴史経済サスペンス小説『バタフライ・ドクトリン』。現在、本誌で連載中の作品を、期間限定でWebでもお届けする。

前回までのあらすじ

次世代スーパーコンピュータ―『不可思議』を開発した理化学研究院の本部に出入りする謎の資産家、運天亜沙美。彼女は八ヶ岳連峰を望む山間に、“山荘”と呼ばれる極秘の施設を所有し、支配していた。その“山荘”の一室には、超高速で細胞分裂を繰り返す、青白い光を放つ大きな球体が眠るように佇む。『不可思議』の双子の兄弟であり、人類全体の支配を可能にする、この球体とは……。

一方、2021年、東京オリンピック後の金融恐慌により全てを失った“ドラゴン・フィールド”元社長の辰野怜は、横浜のドヤ街でヤクザに襲われ気を失う。その後、古代中国の戦場で戦闘する幻覚を見る。数寄屋造りの一室の布団で目が覚めた怜は、「ヤブさん」と呼ばれる異形の男の元に案内された。不思議な安堵を誘う「ヤブさん」の存在感に、怜はこれまでのことを正直に語りはじめるのだった。

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第3話 AIと恐慌


辰野怜(たつの れい)は母、土岐子(ときこ)の最初の夫、ヤブさんのところで話を続けていた。何とも不思議な魅力によって心を開かせるヤブさんに、様々なことを話し、怜は妻の死についても語っていた。

「そうですか、奥さんは自ら命を絶たれたのですか……」

怜は正直に話していった。

「なぜ妻があんな風になって死を選んだのか……今もそれが分からないんです」

学生時代に知り合って結婚し、怜のビジネスの成功と豊かな生活の獲得に反比例するかのように体調を崩し精神を病んでいった妻。怜にとって消し去ることの出来ない深い悲しみを帯びた謎だった。

「与えられるばかりは、地獄だと。彼女は何度もそう言っていましたが……」

ヤブさんは黙っていた。黙って怜の謎を受け入れているようだった。ヤブさんは慰めも励ましもしない。それはこうだと主張を一切しない。だが話している怜は救われていくように思えるのだった。

「妻は……寂しかったのでしょうか?」

怜はヤブさんに訊ねてみた。

「あなたがそう思うなら、そうかもしれませんね」
「でも、何が彼女を寂しくさせたのか……。私は彼女に何もかもを与えていました。金だけではありません。彼女との時間を一番大事にしたし愛情を注いでいたことも間違いありません。そして……彼女の全てを受け入れていた」
「あなたがそう言うなら、間違いはないでしょう。それで良かったのですよ」

怜はそのヤブさんの言葉に驚いた。

「今も奥さんをあなたは受け入れている。悲しみで奥さんを受け入れている。謎として奥さんを受け入れている。それで良いのだと思います」

ヤブさんはそう言って笑顔を作った。怜はその笑顔にほっとするのを感じた。そして怜は何故だかふと心に浮かんだことを口にした。

「死んだ者も生きている者も……結局は同じ、なのでしょうか?」
「そうでしょうね。そうだと思います」

怜はそう応えるヤブさんに頷き、笑顔を返すことが出来ていた。

怜は話を続けた。

「妻の死の後、金融の論文によってノーベル賞候補などといわれました。そのお陰で私が運用するファンドに世界中から莫大な資金が急激に集まり、その金額は3兆円を超えました。世界一成功したファンドマネージャーだと、もてはやされたのです」

ヤブさんはただニコニコとその話を聞いていた。

「自分の能力に、つまり巨額の資金を運用する能力に私は微塵も疑いを持っていませんでした。強靭な理論に基づき、実践で結果を出し続けている。そんな自分に疑いを持っていなかった。しかし、その全てが壊れた。それは……妻が死んで一年が経った頃でした」

妻の一周忌を済ませた後、辰野怜は疲れた自分を感じ、長めの休暇をひとりバリ島で過ごした。棚田の景観が美しい内陸の小さな村のコテージに滞在した。

日々の暮らしがごく自然に宗教とひとつになっているバリの人々を見ていると何とも心が和んでいく。朝、神に供物を捧げる村の女性たちや子供たちの姿、スコールの後、低い山の稜線に掛かる虹の美しさ。夕刻からは男たちが奏でるガムランの音楽の世界に酔った。怜はバリ島での休暇を満喫していった。

だが、毎日のマーケットのチェックは怠らない。それが怜の日常だったからだ。世界のどこにいてもネット通信が可能なように衛星電話を持参してPCと繋いでいた。バリ島滞在中、世界の金融市場は大きな動きも無く穏やかに推移していた。

怜は様々なニュースをチェックし、これはと思うものを独自の項目に分類したフォルダーへ振り分けて保存していく。大項目が23あり小項目は合計すると149ある。朝一番で世界中の経済新聞、経済誌に目を通し、素早く分類作業を行うのだ。

「ん?」

ある記事が怜の目に留まった。

一昨年、理科学研究院が開発に成功し、現在様々な分野での利用が進むスーパーコンピューター『不可思議』が世界の主要証券市場に導入されることとなった。『不可思議』の運営会社である“thymos”(サイモス)が8月15日、発表した。ニューヨーク証券取引所、ナスダック、そして、東京証券取引所が導入を決め、月内に稼働を始める。これにより各証券取引所の処理能力は飛躍的に向上するとされており、『不可思議』の金融、証券業界での利用に拍車がかかりそうだ。

怜はその記事を“証券取引”の中の“IT”のフォルダーに入れると村の食堂での朝食を取ろうとコテージを出た。

「!」

突然、激しい雨になり村中の犬や鶏が一斉に鳴き声をあげた。

「……」

バリの人々が畏れる地下世界の悪霊が現れたような……奇妙な感覚に怜は襲われたのだった。

それから2週間が経った。辰野怜は東京で仕事に戻っていた。

2021年9月1日の朝、怜はいつものように麹町3番町の自宅マンションから自転車のクロスバイクでオフィスに向かった。怜の職場、DF(ドラゴン・フィールド)ビルはお茶の水にあり、10分で着く。

金融街にオフィスを構えたくなかった怜は、駿河台に古くからある重要文化財指定の旧病院の建物を買い取って自社ビルとしていた。昭和初期に建てられたアールデコ様式の地上五階、地下一階の建物。外内装を完全に復元して耐震工事を施し最新のIT設備を整えてある。

怜が経営するDFHJ、ドラゴン・フィールド・ホールディング・ジャパン。従業員数は150名で平均年齢は34歳、優秀な若者たちで構成されている。

収益源であるヘッジ・ファンドに関わる運用部門には50名、新規事業であるシンクタンク・ビジネスのコンサルティング部門が30名、リサーチ・教育部門が20名、そして、システムに30名、残り20名は営業と顧客サポートという陣容だった。

社員の3分の1は外国人で、国籍は人数順に…アメリカ、国、イギリス、シンガポール、フランス、スイスとなっていてリトアニア人が一人いる。ニューヨークとロンドン、上海とシンガポールにもオフィスがあり、DFH全体では300人の体制となっていた。社内の公用語は英語で内部の書類も全て英語で統一されている。

辰野怜は会社の建物に着くとそのまま自転車を持って入り、エレベーターに乗り込んで5階まで上がる。最上階となる5階は運用部門のフロアーでディーリングルームも備えている。

同じフロアーに怜の部屋がある。ガラス張りの広い部屋の壁に自転車を立て掛け、リュックサックを下ろして、机の上の6つのディスプレーを持つPCを立ち上げ、まずメールのチェックをする。
DFHJ各部門の責任者から海外オフィスのトップまでのメールに目を通していく。そして、指示が必要なものに素早く返信するのが怜の仕事の始まりだった。

怜は組織の中で極力、会議をしないようにしている。社員たちの能力や人柄を知るために様々な項目でのブレイン・ストーミングを“研修”と称して行うが、判断が必要なことは全て怜1人で決めていた。

アシスタントの女性が頃合いを見計らってマグカップにはいった珈琲を持ってくる。

「おはようございます。先ほど週刊文潮から確認のお電話がございました。10時の取材は予定通りお受けするので宜しいですね?」
「先方には予定通りと伝えて下さい。この部屋でやります。その間、電話は全てシャットアウトしておいて下さい」

そう告げてから珈琲を口にした。

アシスタントが部屋から出た後、怜はマーケットの動きをチェックする。前日のニューヨークも落ち着いて終わり、アジアのマーケットも特に大きな動きをしていない。

10時になり週刊文潮の記者がやって来た。一般の週刊誌だが怜はどんなメディアの取材も断らず丁寧に対応する方針を貫いていた。

「ノーベル賞の発表が来月に迫っていますが、今年こそというお気持ちですか?」

記者の質問に怜は苦笑しながら答えた。

「昨年も同じように騒がれて結局は何もなかったですからね。特に期待もしていない……というのが正直な気持ちです」

記者はコメントをメモしてから訊ねた。

「ドラゴン・フィールドには過去1年で膨大な資金が集まったとお聞きしますが、実際のところ如何なのでしょうか?」
「守秘義務がありますので具体的なことは申し上げられませんが、順調に資金獲得が出来ていることは事実です。これまでのパフォーマンスが顧客の皆さまの期待に沿うものであることがその理由であることは……」

そこまで言ったところで怜の言葉が止まった。運用部門のヘッドが血相を変えて怜の部屋に向かってくるのが見えたからだ。

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May 03, 2020 at 04:00AM
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