いまの私たちはともすると富の追求や金儲けが良しとされる世界に生きている。しかし、「人間の幸せ」とは、果たしてそれだけではかれるものなのか。私たちはこれからどんな世界に生きたいのか。人間の本質とは、ビジネスの本質とは何か──。ファンド・マネージャーとして巨額の資金を運用してきた波多野が、経済的影響力を持つ人物を取り上げるメディアで、毎号そう問いかけている。
コロナ禍によって世界が大きく変わろうとしているいま、この作品から得られるヒントはあまりにも大きいと感じ、1章13話分を5月1日から1話ずつ期間限定配信することにした。まずは難しい理屈なしに、たくさんの方にこの物語を楽しんでいただきたい(編集部)。
第1話 栄光と恐慌
「生まれたね」
白い光に満ちた部屋の中、その声は響いた。
「あぁ……生まれた」
バッハのコラールが静かに流れている。2人の男は自分たちの視線の先にあるその存在をじっと見詰めていた。全てが白一色の空間でそれだけが、淡く青い光を放っている。
胡桃ほどの大きさのその物体は、アクリルガラスの水槽で眠るように佇んでいた。羊水と同じ成分の液体の中、幾つもの繊細な電極線に繋がれていて、色とりどりのデータがモニター上に刻々と映し出されていく。
それ以外、その場所は白で満ちていた。どこまでも白い光が天上から降り注ぐように、慈しむように、隅々までを満たしていた。
「我々はやってしまったんだね」
少し震えた声がそう言った。
「革命をやったんだよ。我々の名はいずれ歴史に残る」
落ち着きのある声がそう応(こた)えた。スマートフォンとワイヤレス接続された携帯スピーカーからの教会音楽は続いている。
「我々にこの上ない材料が提供されて……生まれた。その幸運に科学者として素直に感謝すべきだよ」
その言葉の後、暫く二人は黙った。
「……♪……♪……」
白い光とバッハ、そして水槽の中の淡い青の存在……全てが一体となっているかのように思えた。
「!」
突然、音楽は中断され電子音が響いた。スマートフォンへの電話だった。男が呼び出しに応じた。
「はい……はい、全て順調です。今……」
男はモニターを見ながら数字を読み上げていった。
「その通りです。“κ”は既に……」
そこまで言いかけて男は言葉を失った。男の目がモニターに釘付けになっている。
「どうした?」
もう一人の男がその様子に駆け寄った。
「こ、これは……」
2019年4月、春爛漫の京都。鴨川沿いの桜並木は豪奢に咲き誇り、薫風が枝を静かに揺らしている。北山にある国際会館へ向かうクルマの中、世界各国、日本全国から京都入りした学者や記者たちは皆、その春の景色に心が浮き立つのを感じていた。そして、興奮は満開の桜だけではない。
「全世界メディアへの発表を2000人近く収容する国際会館の大会議場で行うなど、理科院としても異例中の異例のこと。これはノーベル賞級の話に違いないぞ!!」
日本の新聞記者たちは口々にそう期待を表していた。
理科院……独立行政法人、理科学研究院。戦前から世界的に“RIKA─IN”の名で知られるそれは、日本政府が科学技術振興のために設立した研究組織だ。
原子核、物性物理、応用物理、基礎工学、無機・有機化学、生物化学などの部門を有し、これまで数々の偉業を成し遂げて来た。しかし近年、不祥事が相次ぎ、国家的観点から費用対効果が議論され、一部国会議員から予算削減に向けた動きが出るなど、その存在に注がれる目に厳しいものも少なくない。
3ヶ月前、その理科院が全世界のマスメディア、大学、官民の研究所に対し画期的な科学上の発表を行う旨を伝えてきたのだ。ネット上に様々な憶測が流れたが、理科院の完璧な情報統制の下、一切何も漏れ伝わることはなかった。
プレス専用入口から大会議場の中に記者たちが続々と入っていくと最前方に300名を超える席がメディアのために用意されていた。国内唯一、国連方式を採用している大会議場には、英語、フランス語、中国語の同時通訳が準備され、ワイヤレスレシーバーが座席の上に既に準備されていた。
こうして、会場にはメディアを含め2000人近い聴衆が集まり熱気を放った。テレビカメラは内外合せて20台以上となっている。
「定刻となりました。どうか皆さまご着席をお願い致します」
司会にプロの女性アナウンサーを使う念の入れようだった。
型通りの進行説明の後、紹介を受けて登場したのが理科院、NGSC(次世代スーパーコンピューター)本部長の山梨由紀子(やまなし・ゆきこ)だった。NGSCのロゴマークが大型スクリーンに映し出され、山梨が演壇に立った。年齢は30半ば、やや面長な丹精な顔立ち、綺麗に纏め上げた漆黒の髪にベージュのビジネススーツがピタリと決まっている。
「本日、かくも大勢の皆さまにお集まり頂きましたこと、心より感謝申し上げます」
そう言って頭を下げ、続けて笑顔で言った。
「これだけの場を設けておきながら、皆さまを失望させることがあるとすれば、それは発表の内容ではなく、私の拙い説明によるもの、と最初に申し上げておきます」
米国仕込みのジョークで緊張を解きながら、発表への期待を高めさせるプレゼンの技は、若くして理科院本部長の座にある山梨の実力の一端を示していた。
「では、発表させて頂きます。私ども理科院が民間企業様と共同で行って参りました次世代スーパーコンピューター開発。それにおいて画期的成果をあげることが出来ましたことのご報告です。我々は次世代という言葉を遥かに超えた革命的スーパーコンピューターの開発に成功致しました」
会場が大きくざわつき、山梨由紀子はそれが静まるのを待ってから言った。
「まずその性能を皆さまにお伝えすることで、私の言葉が決して誇張ではないことをご理解頂きたく存じます」
山梨は手元の端末を操作し、大型スクリーンにデータを映し出した。
「?……!!」
「まさか……」
「嘘だろ!」
さざ波のように無数の驚きの声が伝わった後、会場は水を打ったような静けさに変わった。想像を遥かに超えたデータだったからだ。
「私どもNGSCが2020年までの達成を目指して参りました演算速度、毎秒100京回(京は1兆の1万倍)を一桁上回る、毎秒1000京回の演算を安定して行うことに成功したのです」
「……」
静まり返った会場を見回し、山梨は微笑みを浮かべてから言った。
「これは実はエイプリルフールです。と、申し上げたいところですが、4月1日はとっくに過ぎておりますね」
笑いは一つも起こらない。それほど衝撃的な数字だったからだ。
従来型コンピューターが理論的に可能とされる演算可能領域を超え、過去何年にも亘って世界最速の更新を続ける中国のスーパーコンピューター、天河三号を追い抜き、遥か彼方先を行っていることを示しているのだ。
そして、さらにそこからの発表内容に会場は驚愕したのだった。
辰野怜(たつの・れい)は皇居お堀端、三番町の自宅マンションで夜のニュースを見るために、リビングの壁に埋め込んである大型ディスプレーのスイッチを入れた。
自分のことが流れると思っていたが、別の話題に独占されている。そしてそれは世界中のニュースのトップを飾っていた。
「本日、理科学研究院は画期的スーパーコンピューターの開発に成功したことを発表しました。従来のシリコンを材料としたICではなく、コアCPU、中央演算処理装置にタンパク質合成物質を使用したニューロコンピューターとされるもので、今世紀半ばの実用化を目途に開発が進められているといわれていましたが、このほど……」
怜は面白くなさそうにそれを見ていた。放送局の科学部記者や学者の解説を交え、延々とその話題が流されていく。
「その性能は従来型を遥かに超え、演算速度は毎秒……」
そこでは何度も理科院・NGSCの山梨由紀子が説明する様子が映し出される。
「へぇ、なかなか美人だな」
怜はやっと笑顔になって呟いた。その山梨由紀子が画面の中から言った。
「このニューロコンピューターを“FUKA─SIGI【不可思議】”と名付けました。これまでもスーパーコンピューターの命名には和算の単位を使っておりましたが、今回もそれを踏襲しております。『不可思議』は10の64乗を表わす単位で、“FUKA―SIGI”の飛びぬけた可能性を表す意味を込めて命名致しました」
長くそのニュースが続いた後、アナウンサーは力強い調子をもって話題を変えた。
「そして、もう1つ明るい話題です。全米大学協会が今年の経済学賞の受賞者に日本最大のヘッジ・ファンド、“ドラゴン・フィールド”を運営する辰野怜氏を選出したと発表しました。この賞はノーベル経済学賞に最も近い賞といわれ、これにより日本人初の同賞受賞に大きな期待が寄せられることになります」
怜は表情を変えずにそれを聞いていた。
「来年の東京オリンピック開催を控え、栄光に満ちた大きな話題が続いたことで、日本はその自信と誇りを取り戻しつつあるといえるでしょう」
全ては、輝いていくはずだった。
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May 01, 2020 at 04:00AM
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第1話 栄光と恐慌 ── バタフライ・ドクトリン 第1章 FUKA-SIGI【不可思議】 - Forbes JAPAN
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